後悔だらけのきみへ
どうもこんにちは。Since61管理人です。
昭和61年、西暦でいうと1986年生まれ
現在(2017年7月現在)31歳のぼくのこれまでの人生、考えてみると後悔ばかりでした。
「後ろばかり振り返ってもしょうがない」
「大事なのは “ 今 ” なんだよ」
「ここからどうやっていくかが大事」
そんなありきたりな言葉が頭に浮かんでは消え、浮かんでは消え……。頭ではわかっているんだけど、どうしても “ あの時ああやっていれば… ” “あの時の違う決断をしていれば …” そんなことばかり考えてしまいます。
その後悔についてはまた追々、自分の戒めのためにも書いておこうと思います。
あとで後悔をしないために
未来のことなんてほとんど考えもしなかった学生時代。バンドに夢中で、相変わらず現実的な未来から目を背けていたモラトリアムな20代前半。非常に恥ずかしい話ですが、基本的にすべてにおいて ”なんとかなる" で生きてきました。
「いつか人並みに就職して結婚して子どもができて~」なんて、漠然と考えていたものの、自分の生活を考えると現実味を帯びて考えることもできませんでした。
なぜなら、ぼくには借金があったからです。そしてこれは現在進行形です。
なぜ借金をつくってしまったか
単純な話、生活していくために足りなかったからです。そのほとんどはバンドをやっていた時期に作りました。
バンドって、お金がかかるんです。
ぼくはベースを弾いていたんですが、機材をある程度揃えるにも結構な金額がかかります。そしてそれには完成がないので、
”もっとこんな音鳴らしたい”
”こういうことができるようになりたい”
そういったことから、新しい機材を購入。欲求だけは一人前にありました。
また、弦やピックは消耗品なので、それも頻繁に購入しなければいけません。単価は安いのですが、頻繁に交換していると結構な金額を使っていたような気がします。
そして最もお金がかかるのが練習スタジオ代とライブをする際のライブハウスへの上納金ノルマ。練習もライブもタダではできませんし、無名のバンドにギャラなんて払ってもらえません。
毎週1~2回、2~3時間のスタジオ、毎月3~4回のライブ。ライブもお客さんが来てくればいいのですが、だいたいノルマはお客さん10~15人呼ばなければ赤字になるような設定ですので、ほぼ毎回が赤字。
こうやって改めて書き出すと「そんだけバンドに時間使ってたらバイトする時間もなくて赤字になるのは目に見えてるのに」って思っちゃいますが……当時はそんなこと考える余裕もなく、日々に追われていた気がします。
ライブも漠然と回数をやっていれば経験になる。誰かが言っていた「100回の練習よりも1回のライブ」それを真に受けて闇雲に回数を詰め込んでいました。
当時は"何者か"になりたくてがむしゃらだったような。。。
そしてその結果は……簡単ですよね。
生活していくことがきつくなって消費者金融に飛び込みました。
ほぼ裸一貫でベースだけ担いで上京をしてきたので、周りに頼れる人もいませんでした。そして遠く離れた両親には頼りたくない!心配かけたくない!そんなちんけなプライド(?)と、残念ながらかじれるだけのスネがありませんでした。
そのあとはあっというまに金額は大きくなっていきました。
1社で限度までいってしまえば別の会社から……その結果借り入れは3社130万円までになりました。
人によっては「なんだそれだけかよ」と思う人もいるでしょう。
世の中にはもっともっと多くの借金を背負っている人がいることも知っています。
ですが、“バンドマン” なんていい呼び方していますが、その実ただのフリーター。未来の保証もなく、大きな怪我でもすればすぐに来月から食うに困る。大した学もないので就職しようにも大手の優良企業からは見向きもされない。そんな人間にとって130万円は途方もなく大きい金額です。
そしてその後新たな事実に気づきました。
生きていくだけでお金がかかる
そんな生活をしていると、当たり前ですが住民税、国民年金や国民健康保険料など、各種税金も滞納をしていました。
上京して一人暮らしをして、驚いたのが"生きているだけでお金がかかる。それも安くない金額が。" ということでした。
携帯料金・電気・ガス・水道などは止まってしまっては生活ができなくなってしまうので、何度も遅れたりたまに止まったりしながらも支払いをしていましたが、税金関係だけは払う余裕もなく、ただただ逃げていました。
役所へ減額や猶予のお願いをしに行けばよかったのですが、それもせず……。無知って本当に怖いですし、自分を苦しめます。
一発当てればいいやと思ってた
本当に過去に一瞬でも戻れるのなら当時の自分に会いに行ってぶん殴ってやりたい!もしくはもっと過去に行って、こんなことになるよ~と言って聞かせるか。。。
そんな状況にも関わらず、当時のぼくはノーテンキにも
“なんとかなるや"
と思っていました。(思い出して絶望)
むしろ、「バンドで一発当てて金持ちになりゃ全部すぐに返せるわ!」なんて考えていました。(血反吐がとまらない)
ほんとに…この子は…ギャンブラーなんだか、無謀なんだか……
一言で言うと 計画性のない現実逃避バカ ですね!(涙がとまらない)
黄色の封筒が「赤色」になってようやく現実を見た
何度も役所から黄色の封筒が届いていましたが、バカなぼくはいつも封もあけずにゴミ箱へぽいっとしていました。
それがある日、赤色の封筒が届き、でかでかと「至急開封」と書いてあったと思います。(もう数年前のこで、その文字を見てあまりに焦ってしまったのであまり詳細に覚えていないんですが。)
とにかく急いで封をあけると、急いで全額支払わないと強制的に財産を差し押さえしますよ!というようなことが書いてありました。ご丁寧に赤ペンで線まで引いて。
細かい部分は割愛しますが、結構な金額を全額一気に支払うことは無理だったので、お願いをして分割にしてもらいました。
そういったことがあり、ようやく「なんとかはならない」と気づきました。「働かなければ」「稼がなければ」「きちんと払うもんは払わなければ」と現実を見ました。
これまでの消費者金融だけでなく、税金の分割払い、さらに税金は現在進行系で発生していますので、その支払いもありますので、ざっと毎月の支払いだけで10万円近く。
さらに悪いことに(?)奨学金を借りていましたので、その支払いもあります。
ざっと計算しても毎月支払いだけで10万円近く、それに加えて家賃・光熱費・食費など….とても毎月15万円のバイトの給料ではやっていけません。
「バンドを辞める」という選択は……苦渋ではありましたが、決断は難しいものではありませんでした。
バンドをやめて
その後バンドメンバーとは一悶着ありましたが、それはまた別の話。
ありがたいことに、当時働いていた飲食店の店長・マネージャーに相談したところ、シフトを大幅に増やしてくれました。ダブルワークも考えていたのですが、ぼくのことを「大事な人材」と考えてくれていたようで、すんなりと決まりました。真面目に働いてきてよかった。
その後社員のお話をいただいき、はじめての「正社員」になりました。27歳の冬でした。
全部中途半端だった
こうやって書いてみると、改めて二十代前半はだらだらと中途半端に過ごしてしまったな。
バンドも、胸張って「やりきった!」とは言えないし、借金のある生活が常だったのでたいした贅沢もしていないどころか、せっかく上京してきたのにディズニーランドにすら行ったことがありません。当時付き合ってた彼女ともほとんどおしゃれなデートなんてものもしていません。
一つのことに熱中して打ち込んでいた(バンド)とも言いきれないし、たくさん遊んだわけでもない、若いうちにしかできないことなんてものもやってない。
全部、中途半端だった。
あの頃ああしていれば、こうしていれば……そんなことばかり考えてしまう。
後悔ばかりだけど、未来に目を向けよう
ただ、それでもこうして無事に30歳を過ぎて(まだ借金が残っているので生活は楽とは言えないけど)、給料は低いけど仕事もあって、いっちょ前に家庭を持って、
なんとか生きてる
なんとかなってる。
“なんとかなる”の意味合いや重さが二十代の頃とは違うけどね。
タイムスリップして人生やり直せたら最高だけど、それはフィクションの世界だから。
現実に目を向けて歯ぁ食いしばりながら、家族のため、自分のために人生を進めていこう。